武州通信武州ゼミナールのBLOG

『武州通信』第249号

 今年は暑すぎる7月でしたね。一部の地域では40度を超える記録的な猛暑。この暑さ、世界的な現象だそうで北極圏でも30度を超えたところがあるらしい。記録的猛暑なのに今年は “異常気象” という言葉をあまり耳にしない。このところ毎年異常気象が続き、異常が異常でなくなっているからなのだろうか?

《帰宅部?!》の巻

 3ヶ月振りの『武州通信』。 たった3ヶ月なのに、世の中いろいろなことがありました。それを挙げたらきりがない。列挙しようと思ったがやめた。

 ところで、今年の中学3年生は武州の第40期生に当たります。武州を始めてから身の回りにも本当に多くのことが起こり、その度毎にいろいろ考えてきたのだが、そのすべてがまるで心の海の底に沈殿し、社会の海面はあたかも何事もなかったかのように知らぬ存ぜぬ。あれって一体なんだったんだろう、真剣に悩み考えたことを思い出す。でも、すべて今では何もなかったかのように良くも悪くも納まっている。社会の意思は個人の意思を無視して進んでいくものである。当然であろう。だから、今号で書くことも、やがて、愚かな私人の戯言の一つになってしまうに違いない。 

 これまでも何回か生徒に訊かれた質問。それは「先生は中学の時、何部だったの?」。僕の答えは、「部活? うーん、どこにも入っていなかったなぁ」。すると返ってくる反応はいつも「なんだよ、帰宅部かよ」。まるで失望したかのように、である。始めの頃は「部活が活発になったのは東京オリンピック(1964年)の後だからね、その前は…」などと言い訳をしたものだけれど、最近では空しくなって、それもしなくなった。

 ところで、このところ、運動部の部活動の過熱化や顧問教師の負担増の弊害がマスコミで取り上げられるようになった。今では部活動は生徒全員に課された必修科目のようになっている。だから部に入らない生徒のことを帰宅部(何とも穿ったネーミングではないか)と呼ぶ? でも、帰宅部は、高校入試の内申書に書けないから不利になるらしい。ともかくなんらかの部に所属しなければならない空気が漂っている。本当はそれほど魅力を感じていない生徒もどこかに入部するのである。これは古い人間の僕には実に不思議な現象に映る。

 ふと昔のことが頭を掠める。僕が中学生の頃(1960年~62年)は、部活動ではなく、クラブ活動と呼ばれており、生徒の大半は所属していなかった。だから、ぼんくらな僕はその存在自体あまり意識していなかったように思う。僕が始めてクラブ活動の姿を認識したのは、中学3年生の頃、学校の校庭で野球の対校試合が行われ、それを見物したときであった。そして、そのときのピッチャーで主力打者であったのは、なっ、なんと我が校の番長(懐かしい響きである)であった。彼の名誉のために一言加えておけば、当時の不良(これも懐かしい言葉だが)は、普通の生徒に危害を加えることはなかったのである。ただ一種独特のムードを漂わせていたが…。そんな番長が野球の試合で活躍し、とても目映くカッコよく見え、僕らは大きな声援を送ったのである。それは衝撃的な光景であった。きっと彼は野球が好きだったのだと思う。当時は、入りたくない生徒は入らなくて良かったのだから…。

 ところが、東京オリンピックの後、クラブ活動が活発になり、やがて部活動に変わり、ますます過熱化していったようである。しかも、1980年代の校内暴力の頃には “部活動は非行防止になるのでは?” という摩訶不思議な教育言説も…。いやはや教育言説とは奇妙なものである。僕は知っている、部活(クラブ活動)を楽しみながら不良でもあった番長がいたことを。

 それはともかく、あの頃は、生徒にそれなりの自由があった。もちろん、今でも自分で選択することはできるであろう。だが帰宅部、この蔑みの言葉が、本来の自由を阻んでいるように見える。もちろん僕は部活動を否定したいのではない。しかし、部活は内申書のためではなく、心から本当にやりたい生徒だけでやれば良いのではないか、と思うのだ。帰宅部、良いではないか。

 だから、最近始まった過熱化する部活動への問いかけは、それなりの意味があると思っている。それとともに、この問いかけも、海面に突如浮上した一抹の泡のように消え去り、やがて海の底に沈殿し、何の跡形も残さないかもしれない、こんなしらけた気分も同時に起こるのである。

 部活から大急ぎで武州に駆け込む生徒達。その額に浮かぶ玉の汗は本当に好きなことをして楽しかったことの証なんだろうか? それだったら良いのだけれど。

(斉藤 悦雄)

【インフォーメーション】
『武州大学』9月15日(土)7:00p.m.~
  テーマ:関内幸介君の『利潤分配論』を考える part2
  レポート:斉藤悦雄