武州通信武州ゼミナールのBLOG

『武州通信』第252号

 道端の蔓草の隙間にオレンジ色の烏瓜の実。枯れ緑の中に晩秋の彩りがふと目をひく季節ですね。                                                                  

《混迷する英語教育?》の巻

                                                 
 前号で紹介した『オアシス武州』での加藤さんのお話には続きがあります。それは、「私の感じる、ここが変だよ、日本人」です。加藤さんの会社は商社ですので、外国のメーカーとの取引がとても重要になります。加藤さんも毎年海外に出張しているようです。そして、そこから見えてきたのが「半導体で過去 世界を席巻した日本が、なぜ今や見る影もないのか」に対する感想です。

 ここでは加藤さんの指摘を詳細に紹介することはできませんが、無理を押して一言でいってしまえば、グローバル化している世界のなかで日本だけがガラパゴス化しているからだ、ということになるでしょう。日本の大企業は日本的な慣行そのままで世界に通じると勘違いしていること、ところが、現実は? だから、海外に対し極端に警戒し尻込みして、責任の擦り合いで盥回しにし、方針の決定がますます遅くなるのだそうです(なっ、なんと日本的な!)。それに加えて、英語が苦手、確かに今ではだいぶ変わったようですが、それでも外国と取引するのに「通訳」なる人が同行するのは日本だけらしい(因みに加藤さんは英会話が得意です。念のため)。なるほど、ガラパゴス化の解消と英会話の必要性は、どうやら喫緊の課題のようです。

 おそらくこうした事情から、最近、盛んに英語教育の改革が語られているのでしょう。何はともあれ、現在の中学3年生からの都立高校入試では英語のスピーキングも導入されます。また2020年度から、これまで小学5・6年生で行っていた英語教育が小学3・4年生からスタートし、5・6年生は成績のつく「教科」になるらしいですね。更に、同じ2020年度からセンター試験に替わって「大学入学共通テスト」になり、英語の「読む」「書く」「聞く」「話す」の4技能すべてを試験するために、英検や民間の検定試験の活用が予定されているようです。果たしてこれで海外に通じる英語力が身につくかどうかは分かりませんが、加藤さんのお話からも、その背景はとてもよく理解できます。

 ところで、話は一変しますが、先日、ある生徒が何やら “補聴器” のようなものを耳につけているので、“あれ、この子、耳悪かったっけ?” と不思議に思って質問すると、「違うよ、音楽聴いていただけだよ」とさらりと言う。続けて話を聞いてみると、片耳ワイヤレスイヤホンだとのことで「電話も聞けるよ」とも。そう言われれば、最近歩きながら独り言を言っている若い人をよく見かけるのですが、それはイヤホンを通して電話で話していたんですね。そうか、この小さなイヤホンの中に超小型の半導体とモーターが入っていて…、とか考えているうちに空想が膨らんで、これが進化すれば、自動通訳機で目の前の外国人と直接自国語で話ができるようになるのでは?と。どうやら最近の僕は、英語教育の重要さよりも、そちらの方へ心が動いてしまうようです。
 以前、『武州通信』第212号で引用した国立情報学研究所の新井紀子さん(「東ロボ君」の開発者)の、「教育は抜本的な見直しが求められます。たとえば機械翻訳が発達すれば英語教育が10年後も必要かどうか。難しいのは、教育を見直す速度に比べて機械のほうが速ければ、せっかく努力して身につけた教育が役に立たなくなってしまうことです」、という言葉が頭を掠めます。

 とはいえ、英語教育がまったく必要なくなることはないかもしれません。きっと国際社会で活躍する人々には英会話の力がこれからも必要でしょう。しかし、外国人観光客や外国人労働者と話をするのに、つまり国内だけで生活する多くの人々には、高度な自動通訳機があれば、それだけで充分に違いありません。そうなると、今推進している英語教育の意味はどうなるのでしょう。現在の生徒達が社会の第一線で活躍する頃、それまで苦労して学んだ英語がほとんど不必要になっているかもしれません。確かに今後、このような技術的な発展がそんなにうまくいくかどうかは不確実です。ですから今ではまだ保険のために英語教育の強化を、とも考えられますが…。それでも、生身の現実の生徒達を前にすると、これまで以上に子ども達を英語で苦しめる意味が僕にはますます分からなくなるのです。だって現在 英会話力が “切に” 求められているのは、小・中学生ではなく、学齢期をとっくに過ぎた(しかも海外を舞台に活躍する一部の)大人だけですよね。それにも拘わらず、日本のすべての子ども達は、この曖昧な状況の中で、目の前の課題(ますます増える英語教育)をクリアしなくてはならないのです。如何にしんどくて空しくても。
 
 どうやら、大人の身勝手な “目先の思惑” が子ども達を振り回しているようです。10年後、20年後を見据えた “大局的な視野” の欠如? これもまた日本的と言えば、あまりにも日本的な! うーん、何だか変だよ、日本の英語教育!

(斉藤 悦雄)

【インフォーメーション】
『武州大学』11月17日(土)7:00p.m.~
  テーマ::関内幸介君の『利潤分配論』を考える part4
  レポート:斉藤悦雄
『オアシス武州』「忘年会」12月8日(土)7:00p.m.~