武州通信武州ゼミナールのBLOG

『武州通信』第257号

 今年は小学生も中学生もちょっと短い夏休みでしたね。例年なら9月初日から二学期なのに、今年は8月27日前後から始まる学校が多かったようです。何だか徒に子ども達を追い立てているような学校。ますます息苦しくなっているような…。

《人生の踏絵?》の巻

 夏休みといえば夏期講習や8月の授業で、僕の生活は他の月とどこか気分が違います。どうやら僕自身も何やら時間に追われているようで、難しい本をゆったり読む気持ちになかなかなれません。これは毎年のことです。ですから、僕にとっての夏休みは、時間のあい間をぬって、気楽な小説などを細切れに読むのが恒例になっているのです。 

 さて今年は? 遠藤周作の『人生の踏絵』。夏休みの初めに卒業生の濱愛子ちゃん(第15期生)からプレゼントされたものです。この本は新潮社が最近文庫版として発行したもので、その素敵なカバー装画は愛子ちゃんが描いたものです。

 ところで、遠藤周作の著書は何故か僕を惹きつけるものがあり、中でも『沈黙』は僕の愛読書の一つです。この本には “西洋と日本との精神のあり方の差異” や “神の存在への疑問” など考えさせられるテーマがたくさん織り込まれています。今回の『人生の踏絵』にも『沈黙』が描かれた経緯が書かれています。それに、彼の作品の他にもモーリヤックの『テレーズ・デスケルウ』やアンドレ・ジッドの『狭き門』など多くの著作に触れており、思わず書棚から黴臭くなったこれらの古い本を取り出し読み直してしまいました。今思うと『テレーズ・デスケルウ』も『狭き門』も若い頃読んだ時には何が言いたいのかさっぱり分からなかったのを覚えています。でも、この『人生の踏絵』を読んで、何だか少しすっきりした気がするのです。もちろんこれは遠藤氏の読み方なのでその読み方がすべてかどうかは分かりませんが…。それに、僕は遠藤周作の本は確かに大好きですが、時として疑問を感じることもあるのです。特に『わたしが・棄てた・女』などは、キリスト教徒でない僕には、あれでは救われようがないように思われ、どうにも納得できない気分が残っています。まぁ、一概にこう言って済ましてよいのかどうかも分かりませんが…。それはともかく、遠藤周作の著作には洋の東西を超えた人生を考えるヒントがたくさん含まれているように僕には思われるのです。

 うーん、ここまで書いてきて、これではまるで遠藤周作の作品の書評みたいな内容になってしまったなぁ、と。で、そろそろ僕の感想というか、考えたことを書かなくっちゃ。それはね、僕にとっての “踏絵” って何だろう? ということです。僕には木板や銅板に刻まれたキリストの像やマリア像はありません。ですから、僕の “踏絵” の具体的な姿は目には見えません。でも、ひとたび 踏んでしまったら自分の胸の奥深く “わだかまり” を残すものではありそうです。そしてそれは、おそらく “「生徒の心」というか「生徒の気持ち」のようなもの” のような気がするのです。ただこれは具体的な像ではないので、踏んでしまってから気がつくという厄介な代物ですが…。あっ、やってしまった、ってね。とはいえ、覆水は盆に返らず。しかも多くの場合、事態に大きな爪跡を残すこともなく通り過ぎてしまいがちです。でも、もしかしたら当の生徒の心の中には、何か目に見えない傷を残しているのかもしれません。それだけでなく、僕の心の中にも小さな痕跡を発見することがしばしばあります。やってしまった、という反省だけでは済まされない澱のようなものとして…。

 ところでこれって、子どもとの関係だけでなく対人関係一般にも当てはまりますよね。人の心の中には他の誰も踏み込むことができない、不可触の部分があって…、なのに訳知り顔で無自覚にそれに触れてしまう、そんなこと皆さんには経験ありませんか? 僕にはあります。それもしばしばです。踏めと強制されても踏んではならないもの、それを “踏絵” と言うのなら、おそらくそれは踏まれたその人にしか分らない “心の奥底に潜む懊悩?や秘め事?それに誇り?” のようなものなのかもしれません。でも、もしそうなら “踏絵” をまったく踏まずに生きることってとても難しいですよね。

 気楽な小説を…と思っていたのに、愛子ちゃんからいただいた『人生の踏絵』予想のほかハードで、深く考えさせられた僕の夏休みとなりました。あっそうそう、今、ハードと書きましたが、『人生の踏絵』は遠藤周作の講演集なので笑いもあってとても読みやすいですよ。
                            
(斉藤 悦雄)

【インフォーメーション】
 『オアシス武州』・『武州野外大学』合同の旅
   日 時 :9月21日(土)9:00a.m.「日暮里駅」北口改札口集合(雨天決行)
   テーマ :近くて遠い、東のかた「下総の国」歴史・文学探訪